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パリジェンヌとコーヒーショップとまさひろ

「パリジェンヌ」


パリに着いたのは夜中の12時過ぎだった。予定よりすっかり遅くなってしまった。

パリ滞在中泊めさせてもらうことになっていたアデリンへ公衆電話から電話したが、いっこうに繋がらず、あっという

間に小銭が無くなった。

駅をでるとバーが目に入ったので、そこで両替してもらった。

再度電話を掛けてみるが、やはり繋がらない。

どうしよう、困った。最悪、駅で一晩明かせばいいが・・・。



真夜中にもかかわらず夜のパリは若者でごった返していた。その中をくぐりぬけ、インターネットカフェへ入った。

彼女にメールを送り、小銭ももう無いため、ネット接続の電話を使ってもう一度かけてみることにした。

何度かの後、諦めかけていたとき、ようやく彼女が電話にでた。

どうやら友達と食事中だったらしく、携帯をかばんの中に入れていて、気付かなかったようだった。

遅れたことを謝って、自分の居場所を告げ、待ち合わせ場所を決めて電話を切った。

ふう、これで安心だ。少なくとも今夜は野宿しなくていい。


待ち合わせ場所に行くために、地下鉄を利用した。

パリの電車はかなり年季が入っていた。

だけどそれが、パリをよりパリらしく見せてるように思えた。


その後、無事に彼女と会うことができ、彼女のアパートへ向かった。

アデリンはフランス人と日本人のハーフだ。よく見ると確かにどこか日本人的な雰囲気もあった。

日本にも旅行で一度来たことがあり、富士山にも登ったらしい。



「お腹すいてない?よかったら何か作るけど」

と彼女は言ったが、長い移動で疲れていたので断って、少し話をして、眠ることにした。



アデリンの部屋にはベッドがひとつしか無かった。


アデリンは「同じベッドで寝ることになるけどかまわないかしら?」と割りとすんなりと言った。

「いいよ」と俺は平静を装って言った。

「じゃあおやすみ」と彼女は言って、明かりを消した。しばらくすると寝息が聞こえてきた。



うーん、と俺は思った。



パリジェンヌ、やりおる。



次の日からパリ観光が始まった。最初の日はアデリンは仕事が休みだったので一緒に街へ出かけた。



まずルーブル美術館へ行った。

この日は入場料が無料だったので、入り口は長蛇の列だった。

こりゃあ、だいぶ待たなくちゃいけんねえ、と言うと「こっち」とアデリンは言って、入り口とは反対方向へ向かって

スタスタ歩き始めた。付いて行くと、まったく人気のないところにもう一つの入り口があった。

「こっちの入り口のことみんな知らないのよねえ」

とアデリンは言い、2人は全く待つ必要もなく中へ入った。



パリジェンヌ、やっぱすげえわ。



ルーブル美術館には有名な「モナリザ」がある。

「モナリザ」の前にたくさんの人が集まっていた。みんな「モナリザ」をカメラに収めようと必死になっていた。

正直に言って、「モナリザ」を見ても、ピンと来なかった。全く。

今まで何度もモナリザの絵は見てきたし、俺には今まで見たモナリザとこの本物(らしい)「モナリザ」の違いという

ものが分からなかった。



続いてモダン・ギャラリーへ行った。

こちらには、何か引き寄せられるものがいくつかあった。やっぱりモダンアートが好きだな。

いくつかの部屋にはアートフィルムのようなものが流れている。裸になった男と女が一つのバスタブに入ってくねくね

体を交わらせていたり、部屋にいる女が、口紅をつけてはすべての壁面にキスマークをつけていったり、そういうもの

を見ると何が芸術なのかさっぱり分からなくなった。



2つの美術館を見終わるとさすがに2人とも疲れて、アパートへ戻った。


「好きなだけこの部屋泊まっていいわよ」

と彼女が言うので、10日間ほどパリにいることになった。

毎日、足が棒になるまで街中を歩き回ったが、飽きることは無かった。

有名な観光名所だけでなく、ちょっとした路地裏を歩いても、そこは「パリ」だった。

どこを見ても、パリにしかありえないような雰囲気が、パリにはあった。


歩き疲れたら、カフェのテラスに座って、ビールをちびちび飲みながら、友達に絵葉書を書いたり行き交う人を眺め

た。これで俺もパリジェンヌだ、と思った。




・・・ところで「ジェンヌ」って何だろう。



アデリンという娘はかなりフランス人気質だと思う。

プライドがあって、伝統を重んじ、少しスノッブなところもなくはない。

一度寝ている時に俺が体を触ろうとしたらしく、ひどく怒られたこともあったが(まったく心当たりないのだけど。い

やまじで)、総合的に見ると気が合った。時々日本人っぽいところも垣間見れて、親しみも持てた。



お世話になりました。



パリからバスでアムステルダムへ。



アムステルダムは面白い街だった。ヨーロッパの中でも異色を放っていた。


まず、街の風景に気を引かれた。

アムステルダムは細長い三角屋根の家々が多いのだが、その並び方がやたらと雑だった。決してほかのヨーロッパの家

並みのように「几帳面」には並んでいなかった。

次に、オランダ人は「巨人」だった。平均180cmというオランダ人に囲まれていると、何度も自分が小さく感じて

妙な気分になった。


それから極めつけはマリファナと売春が合法だということだ。

アムステルダムに着いた朝に、ジョイントを吸いながら通勤している男を見た。

「coffee shop」と書かれた店では、マリファナの草やジョイントを、オレンジジュースなんかと一緒に楽しめる仕組

みになっている。その店の中では、カップルやらおじいさんやらがとろんとした目でぷかぷかやってる。


ストリートを歩けば、堂々と大人のおもちゃ屋などが連なっている。知らずに歩いているとぎょっとする。

レストラン、薬屋、お土産や、と店を歩きながら見ていると突然ショーウィンドウにバイブ等が飾られているのだ。

しかもどこかエレガントに。それがまるでアート作品か何かみたいに。

かと思えば、女性の裸の写真が恥ずかしげもなくどーんと壁に貼られている。

運河沿いをきれいだなー、と思いながら歩いていると窓に下着姿の女性が立っていて、マネキンと思って通り過ぎよう

とすると突然動き出し、びくっとして見てみると手で招いて見せる。娼婦だった。

そんな娼婦を眺めていた男が一人の娼婦の部屋へ消えていった。

ボクここが怖いよ、母さん!と思った。


オランダはゴッホの故郷でもあるので、ゴッホ美術館がある。

入場料が高くて渋ったけれど、結局行くことにした。

ゴッホの絵は独特だ。あいまいな感じで、夢の中の景色のように見える。作品の数は思ったより少なかったが、かなり

楽しめた。キマッていたせいだろうか。



物価が高いので、数日間だけの滞在となったが、本当に刺激の多いところだった。まるでテーマパークみたいだった。

ヨーロッパの街で一番面白い街は?と聞かれたら、おそらくアムステルダム、と答えるだろう。住みたいか?と聞かれ

たら、答えはノー、だけど。

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再会、そして父の手紙

スイスのチューリッヒに住むドイツ人の友達のマックスに会いに行った。2年ぶりだった。マックスとはオーストラリアの西海岸を2ヶ月間くらい、キャンプをしながら一緒に旅をした。最高に楽しかった思い出の一つだ。

それからそれぞれ帰国して半年後くらいに彼からメールが届いた。
そのメールにはマックスの生まれたばかりの息子の写真が添付されていて、
「俺親になったよ」
とあった。
それを見たとき、ちょっと感動してしまって、「近いうちに会いに行くよ」と返信した。

なのでスイスへ行くことは決めていたのだけれど、旅は計画通りにいかないものだから、再会が実現できたときはうれしかった。

スペインから飛行機でチューリッヒ空港に降り立ち、マックスが迎えに来るのを待ってると、彼は息子のニールを抱いて現れた。父親になってもマックスは変わらず、カッコ良かった。

マックスの家に泊まらせてもらうことになってたので、車で早速向かった。
久しぶりにオーストラリアの2人の共通の友達について話した。マックスだけでなく、結婚して親になった者が何人かいた。
時は流れてるね・・・俺は変わってないなあ、と思う。

マックス邸ではマックスのお母さんが迎えてくれた。マックスのガールフレンド(彼らは結婚はしていない)は留守中というので代わりにお母さんがここにしばらく住んでいるという事だった。

夜はマックスが手料理を振るってくれた。お母さんは英語が話せないが、好奇心が旺盛で、マックスを介して色々なことを話した。アリシアのお母さんといい、このお母さんといい、かわいらしいというか、とにかく感じのいい人だ。
次の日マックスは仕事へ出かけた。俺は、マックスが出かける前にマウンテンバイクを貸してくれたので、久しぶりにサイクリングをすることにした。ヨーロッパにはマウンテンバイクがすごく普及していて、歩道の横に1mほどのサイクリングコースもよく見かける。
チューリッヒはこれが特に多く、サイクリストもたくさんいた。

近くにあった大きな湖を半日かけて一周した。この辺り、まさにイメージ通りの『スイス』という感じだった。緑が豊かで、風が乾いてて肌に心地よく、素朴で可愛らしい一軒屋がぽつりぽつりとあり、人々は静かであった。

次の日、ケツが筋肉痛になった。運動不足だ。

マックスの仕事が休みの日に、マックスとお母さんとニールと一緒にチューリッヒの中心街へ出かけた。
チューリッヒは美しい街だった。
建物のひとつひとつが洒落ていて、運河が流れていて、橋の上から運河の向こうに教会が見えたりする。どこを見ても絵になった。
大きな観覧車が街の中にあった。いつの間にかマックスが俺のために乗車券を買って、「アルプスが見えるよ」と言った。
なかなか恐ろしい乗り物だった。まず窓がないし、それは高速でぐるぐる何度も回った。景観は素晴らしかったけどね。

3日後に俺はドイツへ行くため、家を出なければいけなかった。マックスは俺がもっといるつもりだと思っていたらしく、アルプスへ行くキャンプへ連れて行きたかったらしいのだが、結局行けなかった。
最後の夜はマックスの友達(名前忘れた)とマックスと俺の3人で、お酒を飲みながら語った。
ドイツには仕事がなく、彼らのようにスイスへ職を求めてやってくるドイツ人と、スイス人との確執について。
日本について。
楽しかった。こうやってマックスとまた話ができたことがうれしかった。

次の日、マックスに駅まで送ってもらい、ハグして別れた。

また会えるかなあ。

「ミュンヘン」

バスでドイツの南、ミュンヘンへ。
ここでも、ドイツ人の友達ベスチと会うことになっている。というか、家に泊まらせてもらう。
久しぶりに会ったベスチはえらく日焼けしていた。何やらサーフィンにはまっているそうな。
3日後に友達を連れてフランスにサーフィン旅行に行くからお前も来い、と言うので便乗することにした。

その前にミュンヘンのことについて少し。

ベスチはまだ学生だから(ベスチは確か24歳くらいだったと思うが、彼を含めドイツ人は勤勉なのが多い)、他の大学生の女の子2人とルームシェアしていた。キッチンやトイレ等は共同だが、楽しそうにやっていた。

ベスチがマウンテンバイクを女の子から借りて、2人でミュンヘン内をサイクリングした。
再度、サイクリング。楽しい。
2日間、ベスチがいろんな所へ連れて行ってくれ、ひとつひとつ丁寧に説明してくれた。いい奴なのだ。
だけど、ひとつ彼に謝らなければいけないことがある。
彼が何かの大きな建築物について力説してくれていたとき、おっぱいの大きな女性が通ったので、俺はそっちばかり見ていて、何一つ聞いていなかったことだ。ごめんよ。

ミュンヘンで有名なビールも一緒に飲みにいった。
ドイツではソーセージも有名だが、俺が食べたのは本当に見た目がちんこの様で、気持ち悪かった。ビールはうまい。

サイクリングしていると大きな公園をたくさん見かけた。ベルリンでもそうだったが、都市の中に広くて緑豊かな公園があるというのは、すごくドイツの国民性に影響を与えている気がする。
驚いたことに公園の中にはビアガーデンもあり、老若男女、たくさんの人がゆるい空気の中でビールを飲んでた。
Escape from artificiality...

「フランスへ」

サーフィン旅行にはベスチの友達の、、、ああまた名前忘れちゃった。男一人と女一人。失礼なのはわかってるがここでは仮名として「よしお」と「節子」としておこう。2人ともドイツ人ではあるが、まあいい。

ミュンヘンから、車で半日のドライブ。ドイツとフランスの国境には税関はなく、あっさりフランスへ入国ができた。ミュンヘンを出てすぐ俺は車のなかで眠ってしまっったが、ガソリンスタンドへついたようなので起きて外へ出てみると、もうそこはフランスだった。どれもフランス語標記に変わっていたし、人々は「セボン、セボン」言っていた。西ヨーロッパはまるで日本の県境のように簡単に外国へ行ける。こんな簡単に異文化が知れるなんて羨ましいな、などと思った。
まあ、島国には島国の良さがあるのだろうけど。

夕方に目的地へ着いた。どこかよくはわからないが、とにかく南フランスのどこかだ。
ビーチがあって、キャンプ場がある。ヒッピーのような風貌をしたのもたくさんいた。

久しぶりのキャンプ生活はリフレッシュできた。やたらと風が強く、サーフィンがなかなかできなかったが、バーベキューしたり、ハンモックに揺られたり、気持ちのいい毎日だった。

一度スペインのサンセバスチャンまで日帰りのドライブへ出かけた。フランス、スペイン間もまたあっさり行き来できた。
サンセバスチャンは海岸に面したリゾート地だ。
割と都会なのに海岸ではサーフィンしている人がたくさんいて、開放的な雰囲気があった。
若い女性も多いということで、よしおがおめかしを始めた。それはいいが、脇にかける消臭スプレーを頭にもかけようとしていたので「よしお、それは違うぞ」と注意した。

夜ご飯を食べたあとクラブへでかけた。
ベスチは楽しそうに踊っていた。よしおは女の子ばかりちらちら見ている。
しばらくした後、節子が見知らぬチャラ男といい感じになっていて、しまいにはキスしだした時はちょっとひいた。


翌朝。
俺はパリへ行くよ、とベスチに告げた。
ベスチは車で駅まで送ってくれた。
列車が動き出すまでベスチは俺を見送った。おしゃべりなベスチはずっと冗談を言ってた。
ベスチは近いうちに中国へ旅行に行くつもりだと言っていたので、中国で会えたらいいね、と最後に言って別れた。

出会い、別れ、出会い、別れ、出会い、別れ、出会い、別れ、、、。

列車はごとんごとんと花の都パリへ向かった。







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フィッシュアンドチップスとトマティーナとあの日の父





世界でも有数の大都市であるロンドンにはだいたい何でも揃っている。


まず有名な観光スポットとして、大英博物館(これは行った)、テイトモダンギャラリー(これも行った)、ビッグベ
ン(国会議事堂。通りがかりに見た)、ロンドン・ブリッジ(多分行った)、バッキンガム宮殿(行ってない)、ロン
ドン・アイ(観覧車。乗ってない)、ロンドン塔(って何?)、ナショナルギャラリー(無料なのでこれは当然行った)、ハイドパーク(フリスビーして筋肉痛になった)。


他にも中華街はあるし、買い物はなんでも揃いそうだし(『ユニクロ』や『無印良品』もある)、世界中の料理は食べれるし、ミュージカルも有名だし、とまあ、思いつくものは大抵ある。もちろん歴史だってある。

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一日中街を歩いていると、大都会に慣れていない俺には少し疲れる。住むにはいいんだろうけどね。
それにしても、これだけ人種が多いということに驚いた。予想以上に国際都市だ。

ただ、多国籍人種が文化を創っていくNYとは違って、ロンドンには基盤として濃いブリティッシュ文化が残っている。そこにぺたぺた、と国際的文化が貼り付けられていってるような感じ。それは建物とか見ていても感じた。
なんとなくだけど、その2つの価値観がうまく溶け合ってないように俺には見えた。

まあ、いち旅行者による全くの個人的な見解。

一通り、観光を終えると、街の中心から離れたところへ行って、バンドのライブを観に行った。
ロンドンにはパブが多く、ライブステージを併設しているところも珍しくない。
一階でビールを注文して、2階に上ると小さなステージがあり、そこで若手のバンド演奏を無料で観ることができる。

バンドは2つでどちらともレベルは高かった。こてこてのUKロックだった。
狭くてヤニ臭いライブハウスの中を縦横無尽に暴れまくる彼らを観ながら、ああ俺ロンドンにいるなあ、という気持ちになった。


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こうした中から、偉大なUKロックミュージシャンが生まれていくのだろう。



「ストリートアーティスト」


それから“覆面アートテロリスト”とも呼ばれる『バンクシー』の展示会を観に行った。

バンクシーはブリストル出身のストリートアーティストだ。ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館や大英博物館などに自分の作品を無許可で展示し、数日間誰にも気づかれないまま展示され続けたという話が有名になった。

展示会のあるブリストル・ミュージアムに着くと、長蛇の列ができていて驚いた。しかも、バンクシーは公共の壁にスプレーをするという違法行為をしているアーティストであるにかかわらず、並んでいる客は若者だけでなく、子供連れやお年寄りも多いことが意外だった。
結構国民的な人気者なのだろうか?

バンクシーの作品。
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こちらはバンクシーのストリートアート。


バンクシーの出身地であるブリストルでは、バンクシーのグラフィティを残すことに積極的だ。バンクシーのグラフィティの上に落書きがされたときは、それを消してオリジナルの状態に戻そうとまでしている。
さらに彼の作品には何千万もの値段がついている。

街のグラフィティを“アート”とみなすかどうかは難しいところだが(実際ただの落書きのようなものはただの迷惑でしかない)、それは別にしてヨーロッパの国々を旅して感じるのは、西洋人の芸術に対する理解、寛容さ、だ。
この価値観は日本にはない西洋のいい部分であると俺は思う。(もちろんだからといって日本もこの価値観を取り入れるべきだ、とは思いませんが)



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「メタファー」

ロンドンの中心地であるピカディリー・サーカスを人ごみにもまれながら歩いていた時、ふと、地面に何かが落ちているのに気がついた。
近づいて見てみると、それはパンティだった。
こんな世界的に有名な街のど真ん中にこんなものが落ちているわけがない、ともう一度しっかり目を凝らして見てみたが、それはやっぱり紛れもなくパンティ、に間違いなかった。
さらに驚くべきことに、そのパンティはシミのついた部分が上を向いていたのである。

いったいこれは何を意味しているのだろうか・・・。


『トマティーナ』

物価の高さに泣きそうになりながらも、意外と楽しめたロンドンに別れを告げ、スペインのバレンシアへやって来た。
2度目となる今回のスペインの目的は、毎年この辺りで行われるトマト投げ祭、『トマティーナ』に参加することだった。このちょっとばかっぽい祭には、旅に出る以前から参加したいと思っていたが、タイミングが合えば、という程度だった。
ところがその時期が近づいてきた時に偶然バレンシア近くに住むスペイン人の友達ができて、「それならその間私ん家泊まっていいわよ」と言ってくれたので参加を決意したのだ。

スペインに着き、バレンシア駅を出ると、その友達のアリシアとお母さんが車で迎えに来てくれていた。お母さんはとても感じのいい人だ。イギリスから一緒に来たけいごさんと車へ乗り込み、彼女の家へ向かった。

家に着いて驚いた。
結構な豪邸ではないか。
広くてキレイでオシャレだ。そしてなんとプール付きである。気持ちのいいテラスもあった。「好きなだけ泊まっていきなさい」とアリシアとお母さんが言ってくれた。楽園だ、と思った。

夜にはテラスでお母さんの手料理をご馳走になった。ワインもある。スペイン料理のパエリヤも食べさせてもらった。実は前回スペインにいた時、俺は金がなくてこのパエリヤを断念したのだ。
奇跡だ、と思った。奇跡が起きたぞォー!と叫びたかった。

食事中、お母さんとアリシアの兄がしきりにどうして海外から来てわざわざあんなものに参加するのかと不思議そうに聞いてきた。
どうやらトマティーナは地元の人はほとんど参加せず、変わり者の旅行者だけが参加する祭なのだそうだ。
「アリシアは行くよね?」と聞いてみたら、苦笑いされた。
行かないのね。

翌日、彼女らに見送られ、俺とけいごさんは会場へ行くため電車に乗った。
電車の中は早朝にも関わらずトマティーナ目的の観光客で満員状態であった。
彼らは世界各国からはるばるトマトを投げるためにやって来たのだ。ばかだなあ、と思う。いや、ごめん。

電車を降り、ぞろぞろ行く人々について行くと、会場へついた。そこはもう、ものすごい人で溢れていた。人にもまれているうちに途中で身動きがとれなくなってしまった。
始まる前から人々は興奮と熱気に包まれていた。地元のスペイン人が自分たちの家の屋上からバケツやホースで水を俺たちに浴びせてくる。その度に「もっともっと!」と歓声が上がる。

遠くで銃声のような音がなった。始まりの合図らしい。すると、大量のトマトを積んだローリーがゆっくりとこちらへ向かってるのが見えた。会場の真ん中あたりでそのトマトが地面に放りだされる。トマトの投げ合いが始まった。
おお、これは楽しい。隣の人とただ話をしている人の顔にトマトを投げつけるという不条理が許されるのだ。
俺はとにかくがむしゃらにトマトを投げまくった。

しかし、最初の15分ほどはよかったのだが、途中から投げるより投げられる方が多くなった。地面に溢れていたはずのトマトは、おびただしい数の人間の足によってトマトジュースと化しており、ロ-リーに乗ったスペイン人からただ狙われるだけ、という状況になっていた。これはひどい。俺はいじめられっ子か。

1時間半ほどで終了の合図がなった。
楽しかったが、わけがわからないままに終わったという感じだった。
もう一回やるかと聞かれたら遠慮させてもらうだろう。

なんとも平和な戦争だった。無邪気で平和な戦争。みんなもの凄い笑顔だった。
トマトまみれになった俺たちはホースでそれを洗い流して、アリシアの家へと帰った。

その後の数日間も、アリシア邸で過ごした。アリシアも今は学校が春休みだとかで、シエスタ(お昼寝のこと)ばかりやってた。
最後まで至れり尽くせりだった。今回のスペイン滞在は、トマティーナよりもここでのアリシア一家や彼女の友達との時間の方が記憶に残っている。




(後半部分、写真を保存していたCDRに傷がついたため、アップできませんでした。もし修復ができれば、あとからアップしようと思います。物は大切に扱いましょう。)





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東ヨーロッパの国とかなんかそこらへん

ブルガリアの首都、ソフィア。

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ここでは、正直言ってあまり楽しめなかった。

全体の雰囲気が、こう、パッとしない、暗い感じがする。雨の日のイメージ。長年社会主義国家だったってことも関係しているのだろうか。
その街を「知る」にはそれなりに時間がかかるだろうが、その街を好きになるかどうかなんて、すぐに分かる。直感的に。異性と同じである(違うか?)。

早々と物事を判断するのは良くないのかもしれないけれど、好きになれそうにない街には長くいられない性質なのですぐにハンガリー行きのバスチケットを買うこととなった。

あ、でもブルガリア料理は安くて美味しかったです。

「ハンガリー」


ハンガリーの首都、ブダペストのバスターミナルに着いたのは夜の11時だった。
まずは宿を見つけなければいけないが、ターミナルはもう閉まっていて、誰もいない。
それと、この時点でようやく自分がハンガリーのお金を持ってないことに気づく。

…やべ、どうしようもねえ。毎回自分の計画性の無さに驚かされる。

面倒になり、バスターミナルで一晩過ごすことにした。
警備員らしい男がいたので、「中で寝てもいいですか?」と甘え口調でいってみたが、さわやかな笑顔で「いや駄目」と言われ、仕方なく外のベンチに横になってみたが、寒くてろくに眠れなかった。ひどいや。

夜が明け始め、やっと中へ入ることが出来た。
コーヒーの自動販売機があったので、体を温めようとコインを入れてみるが、何度入れても返ってくる。何故だ?

…やべ、これブルガリアのお金だった。

仕方ないので味噌汁とかコンソメスープとかそういうのを想像して楽しんでいると、ハンガリー人のお母さんが、哀れに思ったのかコーヒーとパンを買ってきて、何も言わずに少し微笑んで、俺にくれた。

「どうもありがとう。助かりました」と言ったけれど、英語が通じないようで、彼女は少し困ったような表情を見せた。
ハンガリー語を一言も知らなかった自分を恥じた。

しばらくすると、小便がしたくなった。
トイレを見つけ、入ろうとすると、オバちゃんがお金を払うように要求してきた。

外国の駅やバスターミナルのトイレはお金を払うシステムになっている事が多い。
しかしハンガリーのお金を持っていなかったので、「ユーロじゃ駄目ですか?」と言ってみたが、完全拒否。ちょっとムカついたので、このおばちゃんの前で放ってやろうかと思ったが、さすがにやめた。

仕方がないので外で済ませた。

ターミナルにあったATMも壊れていて、両替所も何故かブルガリアのお金を両替してくれず(意味が分からない)、街の中心まで歩いて行くことになった。

ブダペストの街並みは美しく、ヨーロッパ独特の雰囲気が漂っている。
それに、ソフィアと比べると、人々に活気があるように思う。
あと、美女が多い。

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今回泊まった「アンダンテホステル」という宿は日本人経営の宿で、滞在者も日本人ばかりだ。
はっきり言って、俺は日本人宿というのが基本的に好きではないのだけれど、この宿はアットホームで、毎日日本食を食べる事が出来たし、かなり居心地が良かった。

そこで2年前にオーストラリアを旅していた時に会ったことのある人と再会した。
その人もまた、ギターを持って旅をしていて印象に残っていたので、すぐに思い出した。
こういうことがあるから旅は面白い。

薫さん(というのが彼の名前)は、あれから、4ヶ月ほど日本に戻っていたものの、それ以外の期間は、ずっと旅を続けていたらしい。
ブダペストではもちろん街歩きもしたけれど、宿で薫さんと一緒にギターを弾いたり、教えてもらったりした時間の方が長かった気がする。

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また一緒に演りましょうね。

ブダペストは温泉の名所としても知られている。

特に有名なのが、「キラーイ温泉」という所で、実はここ、ゲイの社交場と化していて旅人の間でも伝説となっている。
お湯に浸かっていたら向かいにいた白人がこちらへクロールして泳いできた、とかすれ違いざまにちんこを握られた、とか湯船の中でヤッてた、とかそういった話をよく耳にしていた。
確かに興味深く、ネタにもなるのだろうが、俺は普通の温泉へ行く事にした。
そういうのは聞くだけで十分である。

久しぶりの温泉は旅の疲れを癒してくれた。
さすがヨーロッパとあって、大浴場、サウナ、水風呂、マッサージと施設が整っている。全体的にクオリティも高く、雰囲気もあって、かなり満足できた。

それにしてもみんなでかいなあ。自分の小ささを知りました。

ブダペスト滞在中はアンダンテホステルに泊まっていてが、その内の3日間はカウチサーフィンをした。
ホストしてくれるのはアンナちゃん20歳。
えへへっと思いながら、彼女の家を目指した。

着いてみると、そこはアパートメントではなく、学生寮だった。
ルームメイトの一人が帰省していたため、ベッドに一つ空きができたということだ。

俺が着いたその夜に、寮内でパーティが催された。
ありがたいことに俺も歓迎され、ワインをたくさん飲まされて、酔いつぶれた。

このお年頃の外国人というのは、驚くほどエネルギッシュで、情熱的だ。
パーティが始まるとすぐに男女がいたる所でチュッチュし始めた。
酔いつぶれていた俺は2時頃にはベッドに潜りこんだのだけれど、明け方まで騒ぎは終わらなかったし、隣のベッドでやり始める奴はいるしで、なかなか大変だった。

でも、こういった「リアルな」ブダペストっ子が見ることができたのは、良い経験だったと思う。

ちなみにアンナちゃんは結構美人でした。

この街では他にも、地下鉄で歌ったり(1日2時間ほどして2日で16ユーロくらい稼げた)、オペラを観に行ったり、ドナウ沿いをサイクリングしたり、登山したりと充実した毎日を送れたな。
ブダペストは物価もそれほど高くないし、カフェやバーも多く、過ごしやすい。
夜景もきれいだ。

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ブダペスト好きになった。

「チェコ」

ヨーロッパに入ってから徐々に物価が高くなってきている。自然と滞在も短くなるのが少し残念だ。

限られた時間の中で少しでもたくさんのものを見ようと、歩き回る毎日。

移動して、街をひたすらに歩く。それを繰り返していると、強く感じるアウェー感。

当たり前なのだけど、どこにいっても旅人はアウェーなわけで。

ボートに乗って海を漂ってるような感覚。

どこにでも行けるし。

このフワフワした浮遊感が時々妙につらくて、時々妙に心地良い。


さてチェコのプラハ。

この街を一言で表現するとしたら、「メルヘンチック」が妥当だと思う。
モノクロの写真が似合いそうだ。
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街歩きに疲れると、バーに入ってビールを飲んだ。プラハのビールは世界一うまいと名高く、その上一杯100円ほどと、安い。
俺はあまり酒は飲める方ではないが、これは最後の一滴まで美味しくいける。

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こういうやって昼間からバーでゆっくりするのもたまにはいい。

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面白い建物発見。ダンスをモチーフにした作品だって誰か言ってた。

「ベルリン」

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夕方、路地のど真ん中で、野外ライブが始まった。

住宅街のど真ん中で、会場が設けられてある。

バンドはレゲエだった。

こんな場所で始めちゃっていいのかね、なんて思ってるうちにぞろぞろと人が集まってくる。

パンクから子供からお姉さんからおじいちゃんまで、世代も人種も関係なくみんな楽しそうに踊り始めた。

特に目を引いたのが、しわくちゃの顔で誰よりも楽しそうに踊ってたおじいちゃん。

俺と目が合った途端、おじいちゃんはまるで子供のように二カーって笑った。

あんな幸せそうにしてる人久しぶりに見た。

何か、すごい衝撃だった。ベルリンでは、みんな楽しく生きる秘密を知ってるんじゃないか、と思った。


「ストリートアート」

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今まで見てきた街の中でもかなり進んだカルチャーがここにあるような気がした。

ベルリンにはおびただしい数のストリートアートが存在する。

芸術的作品もあるし、ただの落書きみたいのもある。

政治的なメッセージを含んだものもあれば、ただのジョークもある。

とにかく、彼らは面白いと思ったことは何でもストリートに残していく。金になるかなんて最初から考えてもなさそうだ。

ベルリンの壁にも政府公認の「イーストギャラリー」と称されるアートがどんどん描かれていっているが、こちらは何だか「観光客寄せ」みたいな感じがして、好きじゃなかった。

やっぱり、ストリートアートは「やっちゃった感」がないとどうも面白みが無い。

何かに抗う力が、何かを生み出しているんだなあ。

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ヨーロッパ、物価は高いけど、かなり楽しめてる。「新しいもの」がどんどん自分の中に取り込まれていってる感じ。
いわゆる先進国と、発展途上の国では旅のスタイルがまったく変わる。
だけどどんな国であろうが、その国の個性は必ず存在するし、また結局のところ何処にいっても同じ人間だなとも思わせられる。その両方をその国で発見できたら、「今回もいい旅できたなあ」って思える。

さて次は(俺の中で)パンクロックの生まれた街、ロンドンだ。




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西洋と東洋を結ぶ国

トルコ人は親切だ。それはもう、驚くくらいに。

イスタンブールで街を尋ねれば、わざわざその場所まで歩いて連れてってくれたり、1度なんかは、車で連れて行ってくれる人もいた。
知り合って5分くらいしか経ってないのに、「お前ジーパン汚いの履いてるな。これあげる」といって、新しいジーパンをくれた人もいたし、田舎のほうでチャイ屋に入ると、よく笑顔で話しかけられ、チャイを奢ってもらった。

どうやら、親切は彼らの国民性のようだった。

トルコはとても居心地がいい国だった。


「イスタンブール」


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アジアとヨーロッパを股かける都市、イスタンブールから旅は始まる。


ここでは、カウチサーフィンで知り合った女性の家にお世話になった。

カウチサーフィンとは「カウチ(ソファ)などの寝る場所を、旅行者に無償で提供する」活動。ホームステイと違うのは、基本的に提供するのは寝る場所だけという点。提供する側(ホスト)と提供を受ける側(サーファー)はWebサイトに登録してあとは本人同士でいろんな決め事は交渉する。

と何かのサイトに書いてある。

簡単に言えば、宿代も浮かすことが出来、その土地の文化や歴史を深く知ることが出来、さらに女の子とデートできるという、素晴らしいサイトなのだ。

彼女の名はDuygu。それとルームシェアしている友達が一人いた。
彼女の家に限らず、イスタンブールの若者は、何人かの友達と部屋をシェアしてる人が多いようだ。

Duyguも、これまた親切な人で、ご飯は全部彼女が払うといって聞かなかったし、限られた時間の中で、イスタンブールのいろんな所へ連れて行ってくれた。俺はこの時、風邪をこじらせていたのだけれど、彼女の友達たちにも良くしてもらい、とてもありがたかった(ちょっと申し訳なかった)。

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有名なブルーモスク。イスタンブールにはこのような形をしたモスクを多く見かけ、印象的だった。
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中へ入ってみる。足臭い。

110_3034.jpgこちらはアヤソフィア。中は博物館になっているらしいが、入場料が高いので入ってない。

イスタンブールは旧市街と新市街とアジア街に分かれている。
俺は新市街が好きだった。観光客がたくさんいる旧市街よりは、ヨーロッパのような新市街の方が、『本当』なような感じがした。トルコの他の街はわからないが、イスタンブールの人々は、国際的で、モダンな考え方の人が多かった気がする。

110_3046.jpg貝の身に米が詰められてる食べ物。ぴりっとしていておいしい。名前は不明。



「ギョレメで働く」


夜行バスに乗ってカッパドキアへ移動。

カッパドキアにあるギョレメは奇妙な形をした岩に囲まれた、不思議な、美しい村だ。

静かで、のどかで、ここにいるとまるで時間が止まってるような錯覚に陥る。

村から歩いて行ける距離に、はっとするような壮大な景色が見ることができる。ちょっと散歩するだけでもハイキング気分である。

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ある日、ホテルを経営しているおっちゃんと話しているうちに、ここで働かない?という話になり、1週間くらい、住み込みで働くことに決めた。

働くといっても、給料はなしで、部屋と、ご飯を提供してもらうかわりに、朝の3時間くらい手伝いをするだけ。この村を気に入っていたし、もうちょっとゆっくりしようと思ってたのでちょうど良かった。

ここのオーナーの名前はファルク。少し日本語が話せる。それと彼の甥のジハッドゥとお手伝いさんのファトマでホテルを切り盛りしている。

俺の基本的な仕事はまず朝、ゲストの為に食事を用意する。それからゲストが起きてきたらティーをサーブしてあげて、今日は天気がいいですね、みたいなことを話す。
ゲストが食べ終わると後片付けをして終了。これをお手伝いのファトマと協力してする。あとは時々洗濯物を干したり、ファルクの3歳になる息子と戯れたりする。
他にも、店番をしたり畑仕事を手伝ったり、牛の世話をしたりといろいろ。

トルコ語全然わからないけど、全然問題ない。みんないい人。

ここ住んじゃおうかと思ったくらい、居心地良かった。

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トルコの料理は世界的にも有名だが、ここでファトマの手料理を食べて、納得した。
まず料理の多様性に驚く。俺の滞在中、毎回違う料理がでてきた。
そして毎回、うまい。
それと、おかずと一緒に食べるパンがこれまたもっちりしていてうまい。


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その国の料理がうまいと、旅のモチベーションが上がる。

トルコもイスラム教国ではあるが、エジプトやモロッコとは違い、イスタンブールの人々は誰もが熱心に信仰している、とは(俺には)感じられなかった。近代化のせいもあるのだろう。
でもここのオーナーのファルクはとても信仰心の厚い人だった。彼はどんなに忙しくても毎日のお祈りを欠かさない。
同時に彼は深い哲学を持っていた。
彼が『神』を口にするとき、それはすがったり、頼ったりするものではなく、自分が強く信じるもの、信念のことを指してるように思えた。

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また、ここにいる人たちは、食べ物を非常に大切にする。
使い終わったコーヒーやお茶の葉は全て植物の肥料になり、テーブルに落ちたパン屑でさえ、牛の餌にされる。

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「全てはつながっている。食べ物を大切にしないと、神は俺たちに食べ物を与えてくれなくなるだろう」
といつもファルクは口にした。

今思うと、彼は色んな事を俺に教えようとしていた気がする。

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たくさん学んだよ、俺。


「地下都市」

この辺りには地下都市と呼ばれるものが数多く点在する。これらはなんと紀元前400年頃に造られたものらしく、今でも寝室や教会などが残っていた。

子供の時、秘密基地を作ることが生きがいだった俺の、まさに理想の秘密基地がそこにあった。

それにしても、色んな「不思議」が世の中にはあるもんだ。

110_3210.jpgこれは教会。地下は8階まである。大都市である。

地下都市を楽しんだ後、周辺を散歩することにした。ここはギョレメよりさらに田舎町だ。

すると、遠くで満面の笑みを浮かべながら手招きしているおじさんがいた。

なんだろう、と思って近寄ってみると、どうやら俺と一緒に来い、というような事を言っている。ついて行くと、そこにはまだできたばかりの学校があった。
このおじさん、学校の先生のようだ。

面白そうだったので、中へお邪魔した。

職員室のような所で椅子を勧められ、やはりチャイが出てきた。
すぐに先生や生徒達が一斉に集まってきた。生徒は14,5歳といったところだ。
みんなニコニコしている。歓迎されてるみたいだ。
矢のような質問攻めが始まる。だけど言葉が全く通じなくて困っていると、英語の先生がやってきて、通訳になってくれた。

「どこから来たの?」
「ここで何しているの?」
「トルコは好き?」
「日本人はみんな空手をやってるの?」

子どもたちはみんな目が輝いてた。エネルギーが溢れ出ているようだ。俺がこのくらいの年の時、こんなに好奇心あったっけな。

しばらく話し込んだ後、昼休みだということで、生徒達はそれぞれの家に戻って行った。

子供たちにエネルギーを貰ったような気がした。


「別れ」


ホテルを出ることに決めた。

次の目的地はサフランボル。

みんなとお別れをして、ジハッドゥにスクーターでバスセンターまで送ってもらう。

「また会おうな」
そう言って、バスに乗り込む俺を見送るジハッドゥ。

サフランボルへと向かうバスの中で、別れの悲しい気持ちと満たされた気持ちが入り混じって少し感傷的になった。

やっぱり人だなあ、と思う。

この旅ですごい景色や作品を見てきたけど、思い出すのはいつも人だ。
そこで出会った人たち。
人との出会いが、俺にとってその街を「特別」にする。

出会いのない旅なんて、考えられない。

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「古都サフランボルへ」

バスを降りると、親切なおじさんが宿のある旧市街まで丁寧に道を教えてくれ、無事に到着。

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サフランボルも新市街と旧市街に分かれている。旧市街はかなり古い歴史があり、昔ながらのトルコ独特の木造家屋が数多く残っている。世界遺産の街。

石畳の道を歩いてると、何故か子供の頃を妙に思い出す。そういえばどことなく雰囲気が日本の温泉街に似ている。

カフェで本を読んだり、店の人と顔見知りになって、話し込んだり、人懐っこい子供たちと戯れたりして過ごす。

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この街もまた、静かで、人が温かい。


「チャイ」

トルコで親しまれてる飲み物、チャイ。

飲むときにお湯で薄め、砂糖で甘くして飲む。

ホテルで働いたときに何度も作ったし、トルコ滞在中数え切れないくらい飲んだチャイ。

どの街でも、みんなよくチャイをご馳走してくれた。

チャイハネで、言葉は全く通じなくても、身振り手振りでコミュニケーションをとりながら一緒に飲んだチャイ。

トルコの人の温かさが、チャイとともに思い出になってる。

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イスタンブールへ戻っってきた。バスターミナル内にあるチャイハネに座ってトルコ最後のチャイを飲みながら次の行き先を考える。

もっとトルコ旅したいけれど、今回はここまで。いつかまたトルコ語もうちょっと覚えて戻ってこよう。

ギリシャに行くか、ブルガリアに行くか・・・。

地図を見ると、ギリシャは少し南へ下る形になる。
とりあえずドイツを目指そうと思ってる俺にとってはブルガリアの方がON THE WAYである。


よし、ブルガリアに決めた。












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Author : keita

ドライブとか行くときに行きよりも帰りの方が早く感じる理由がやっとわかったよ、まさひろ。

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